2019/05/06 ブログ
この10連休、皆さんどのようにお過ごしでしたか?
ここしらこばとメモリアルパークには、たくさんの方がお参りにこられましたよ!!
5/6(月) 6:00配信
ダイヤモンド・オンライン
元号がいよいよ「令和」に変わりました。前回は平成の最後ということで、新しい元号をどのように受け止めるべきかを提案いたしました。みなさんは「書き初め」をやってみましたか?
元号が変わるという経験は、まさに国を挙げて“再起動”するようなものです。せっかくですから、自分自身も再起動してスッキリとした気持ちで新たな一歩を踏み出したいものです。
さて今回は、もっと日常にある「節目」を楽しむという話題です。元号が変わるような大きな節目は頻繁にはありませんが、小さな節目はたくさん存在します。
明確に比較したわけではありませんが、日本人は、他の国の人と比べて年間の「節目」が多いのではないでしょうか。多くの国ではまず宗教的なイベントがあります。さらに、土着的なお祭りのような儀式や子どもの成長に合わせたしきたりがあります。これは日本でも同じなのですが、わが国の場合、複数の宗教の行事を本来の形とは少し変えて、ライトな感覚で、お祭り気分で楽しんでしまっていますから、どうしても数が多くなります。
さらに、これらに加えて四季折々の行事や祭りがあるので、年がら年中、様々な「節目」を楽しむことができる国民であるわけです。こんなに素敵なことはないと思います。とりわけ、会社勤めを終え、リタイア生活に入った方にとっては、この節目こそが生きがいにもなり、生活の張りにつながるということもあるでしょう。
ここからが大切なのですが、リタイアして暇だからというだけではありません。老若を問わず、それらの節目をきっかけに、今までの自分を振り返り、新たな方向性を考えることが可能になると思うわけです。
最も典型的なのが、正月。「1年の計は元旦にあり」は日本人ならとてもわかりやすい感覚ですが、元旦だからといって別に特別な日なわけではありませんよね。それでも、私たちはこの日をとても大切にしています。この感覚を大切にしようということです。「書き初め」もそのための1つの方法であるわけです。
お正月だけではなく、例えば、春分の日を機会に「もう春だから、くよくよするのはやめよう」とか、端午(たんご)の節句に「夏までに5キロ痩せよう!」などと決意してみるのも悪くありません。
まあ、そこまで重く考えなくとも、節目は、様々な喜びを味わうよいきっかけともなるものだと思っています。
皆さんは二十四節季(ないし節気)を意識したことがあるでしょうか。
黄道上の太陽の動きを夏至と冬至、さらに春分と秋分で四等分し、それぞれの真ん中に立春、立夏、立秋、立冬を置きます。これで1年が8等分されますが、これをさらに3等分していきます。つまり、1つの節季は15日、半月というスパンになるわけです。
中には雨水(2月19日前後)や芒種(6月6日前後)、白露(9月8日前後)などなじみの薄いものもありますが、啓蟄(3月6日前後)や大寒(1月20日前後)といったなじみのある言葉も出てきます。
以前、ある友人と二十四節季ごとに会って酒を飲むというイベントを1年ほど行ったことがあります。半月ごとに飲むというのは意外と大変で、1年続けるのがやっとでしたが、貴重な経験でした。
二十四節季は旧暦によっていますから、立春が2月4日頃で、立秋が8月8日頃というように、今の季節とは実質2ヵ月ほどズレています。そこを自分たちの中で調整することは必要です。また異常気象の影響で、日本の四季もだいぶ崩れてきていますが、意識してみると、たった半月でも季節は確実に変わっているということがわかりました。
虫の音を聞くにつれ、月の動きを見るにつけ、大都市の東京にいても、古き良き時代の日本人の情緒をわずかですが、感じることができました。
さらに日本には「節句」があります。節句の由来は中国の陰陽五行説ですが、日本の暦として定着していて、まさに年中行事として1年の節目となるものです。
有名なのは5月5日の端午の節句、7月7日の七夕(しちせき)。上巳はどうでしょう。「じょうし」と読みますが、3月3日、桃の節句です。1月7日の人日(じんじつ)は七草粥を食べる七草の節句です。もう1つが9月9日の重陽(ちょうよう)。こちらは菊の節句です。
今では節句は子どものためのものと思われていますが、来歴をたどれば、そうとも限りません。たとえ子どもが主役でも、準備をするのは親ですから、私たちの節目でもあるわけです。
そもそも日本人は農耕民族で、自然と共存して生きてきた民です。だから四季折々の自然を愛で、自然とともに生きてきました。季節を意識することがとても大切だったわけです。その上に中国の文化や西洋の文化も取り入れ、和洋折衷で多くの行事、節目を引き受けました。その意味では素敵なコスモポリタンと日本人はなったのだと思います。
例えばバレンタインデー。バレンタインには商業主義などの批判もありますが、私は前向きに受け取りたいです。長年連れ添った伴侶に感謝を伝える時、きっかけがないとなかなか照れ臭くてできるものではありません。バレンタインはとてもいいきっかけです。「いい歳してバレンタインなんて」などと言わず、楽しんでしまいましょう。
節目とは少し異なるのですが、旬というものがあります。
10年以上前から、食べ物の旬を意識して、旬の食材を好んで食すようにしています。例えば魚。旬の魚はもちろん美味しいのですが、それだけでなく滋養があり、健康にいいと思っています。さらに、やはりそこを意識することで、恵まれた日本の四季を身近に感じることができます。
ちなみに江戸っ子は、誰よりも旬を早く味わいたいので、「走り」が好きだといいますが、私はまさに旬、要するにピークを好むようにしています。
旬の食材はまた、値段も安いです。例えば秋の味覚、サンマ。出始めに1匹300円したサンマが、旬になると3匹で300円。しかもおいしい。
例えば5月なら旬の魚はタイ、ハモ、カマス、カツオなどです。野菜なら春キャベツ、新玉ねぎ、タケノコなどでしょうか。海外でもヨーロッパの人たちは春先のホワイトアスパラを求めること、わが国の秋の松茸以上のものがあります。私は日本の旬だけではなく、海外の旬も楽しんでいます。そんなものが容易に手に入るのも日本の素晴らしさでしょう。
とはいうものの、旬がいつなのか詳しく知っている人は少ないと思います。だから、私は例えば魚であれば、よく行く魚屋や寿司屋の職人に、素直に尋ねるようにしています。
最近もこんなことがありました。魚屋の店先で冷凍ものではない「スルメイカ」を発見したのです。私は自分でイカの塩辛を作るのが好きなので、喜んで「3杯包んでよ、塩辛を作るからさ」と言いました。
するとその店の主人が、こう言うのです。
「ちょっと待って。それはダメだ。今は旬が外れているから肝が小さい。3杯の肝合わせて1杯分くらいにしかならない。あとはバター焼きにでもして食べてくれるならいいけど…」
それを聞いて、スルメイカをあきらめ、別の魚を買いました。
旬を意識することによって、期せずして生活の知恵を学んでいます。素直になること、学び続けることが何より大切だと思っていますし、その結果、人生が潤います。
学び続けることに限りはありません。ここまでにお話をしてきた節季や節句、あるいは旬も、万物について学び続ける、学び直すためのきっかけです。知らないうんちく、役立つ知識は本当にたくさんあるものです。
例えばクリスマスもそうです。私はクリスマスが好きですが、それはまた、知識を補充し、物事を考えるきっかけともなってくれます。
私は、11月末くらいからすっかりクリスマスモードに入ります。それに合わせて門前の小僧、習わぬ聖書を読んでみたり、キリストの生きた時代という意味で、ローマ帝国について書かれた本を読み返してみたりして、その時代に思いを馳せます。そこから派生して、例えばマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』などをまた読んでみたりもするのです。
知識の連鎖ほど、面白いものはありません。4月8日であれば、お釈迦様の誕生日ですから、仏教について学び直します。道元を読んだり、般若心経を読んだり。今年は曼荼羅について調べてみました。みんなつまみ食い程度なのですが、結構楽しめます。
書物をひもとくだけでなく、中秋の名月であれば、月面観測をしてみるのも面白いですね。天体観測は毎年毎年、何かしら「今世紀最大」とか「何十年に一度のチャンス」が巡ってくるので、飽きることがありません。これも形を変えた節目かもしれません。流星群など、毎年必ず巡ってくるのですから目新しくもないのですが、なぜかその晩はワクワクします。
四季折々の楽しみ、旬の味覚、歴史あるイベントや毎年巡ってくる自然現象を無視するのは、とてももったいないことだと思います。
旬や節句や自然現象は万人に同時に巡ってきますが、個人だけに巡ってくる代表的な「節目」が誕生日です。その日は、まさにパーソナルで大切な日です。自分や家族にとっては新しい1年が始まる日ですから、元旦と同じくらい特別な1日だとは思いませんか?
新たなスタートですから、決意を新たにしてこの先を考えるべき日だと思います。子どもの頃は誕生日を大切に祝っていた人も、大人になると気がつけば誕生日が過ぎていたということも少なくないでしょう。もったいないですね。自分のキャリアを考える日として捉えたらいかがでしょうか。
前回提案をした、書き初めをするのもいいと思います。自分の誕生日に、次の1年をどう生きるか、1文字で表して書き記す。それを飾っておけば励みにもなります。
まだまだあなたの人生もキャリアも終わりではなく、これからも続くわけですが、それと同時に、こうした意識をもって、今まで目の向いていなかったものも見て、耳をすまして、さらに立ち止まって考えてみるのは素敵なことではないでしょうか。
(明治大学専門職大学院グローバル・ビジネス研究科教授 野田 稔)
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